WSJT-X improved 3.1、かなりお勧めです。📡 ― 2026年05月16日 09時28分12秒
より良いリグが欲しい、でも動けない — ICOM⇔YAESU の壁について ― 2026年05月08日 08時00分19秒
Sherwood の数字は誘惑する
Rob Sherwood の Receiver Test Data を眺めていると、ある数字の組み合わせに目が止まる。
私の現用機 IC-7300 の Narrow Spaced Dynamic Range は 97dB。それに対して YAESU FTdx10 と FT-710 は 107dB。10dB の差が、第三者測定の数字としてそこにある。
ここで技術的に正確に書いておきたい。Narrow Spaced DR は「強い近接信号が存在するときに、受信機が IMD で潰れずに済む耐性」、つまり受信機の "頭の高さ" を示す指標である。「信号強度で 10 倍の差が聞こえる」という素朴な解釈は誤りだ。実運用でこの余裕が使い切られる場面は限定的で、多くの状況では大気雑音や人工雑音の方が支配的になり、DR の差は体感されない。中波 DX のような大電力局がひしめく過酷な環境ですら、ICOM 機で十分戦えるという経験者の声もある。
さらに踏み込むと、Sherwood の測定そのものがダイレクトサンプリング SDR 機への適用において方法論的な課題を抱えているという指摘がある。SSG(信号発生器)から ADC へ直接入力する測定条件下では、入力レベル上昇に伴って波形立ち上がりが急峻化し、サンプリングビット刻みを 2〜3 段飛びで抜ける現象が起きる。これが量子化雑音にスパイクとして混入し、擬似ノイズとして観測される。サンプリングと信号の微妙なタイミング依存で結果が安定しないため、Sherwood 自身も計測値の不安定性を認めているとされる。実運用ではアンテナからの外来ノイズや他信号が自然なディザリング効果として働き、この現象は原理的にほぼ起きない。つまり Sherwood の数値はディザリング条件下のワースト値であり、ダイレクトサンプリング SDR 機の実運用性能を必ずしも反映しない。ヘテロダイン機では原理的に発生しない現象であり、アーキテクチャの異なる機種を Sherwood の同一指標で単純比較することには、原理的な注意が必要である。
それでも、この 10dB は誘惑する。FTdx10 100W が実勢価格 ¥158,400 から手に入る今、「Sherwood トップグループの数字を持つリグ」を IC-7300 と大差ない金額で買える時代である。コンテストで隣接強局に押し潰された経験のある人なら、「あと 10dB の余裕があれば」という思いを一度は抱いたことがあるはず。スペックは、実効値の差以上に人を惹きつける。
数字だけ見れば、検討に値する買い物に見える。
でも、動けない。
なぜか。
見えないコスト — エコシステム移行費
リグ単体の比較表には絶対に載らないコストがある。「メーカー越境のコスト」だ。
私の例で具体的に書こう。
私のシャックでは IC-7300 の ACC 端子から 13.8V と SEND 信号を一本のケーブルで取り出し、6m 用プリアンプに供給している。これは ICOM 機の伝統的な設計で、IC-7600 でも同じ ACC 端子から同じ信号が取れる。長年積み上げてきた、安定した運用構成だ。
ところが YAESU FTdx10 は事情が違う。背面に TX GND(RCA)はあるが、ICOM ACC のような 13.8V 給電ピンは持たない。プリアンプ給電は別経路で安定化電源から分岐する必要がある。SEND 信号も RCA から取り直す。
つまり、リグを買い替えた瞬間、6m の中核装備であるプリアンプの給電・制御系統を全面再配線することになる。
「単なる配線でしょ?」と思うかもしれない。だが SEND タイミングはリグごとに微妙に違う。ミスれば送信時にプリアンプにフルパワーが突き刺さり、一瞬でファイナル昇天である。オシロで実測しながら慎重に組まないといけない。
これは私の例だが、似た話は他にも山ほどある。
越境で発生する隠れコスト一覧
- ACC 端子:ピン配置・信号仕様が異なる
- CAT 制御:ICOM は CI-V、YAESU は独自プロトコル
- マイクコネクタ:8ピン同士でもピン配置が違う
- 外部チューナー連動:バンドデータ電圧仕様が異なる
- ロギングソフト設定:全リグエントリ書き換え
- メモリ管理ツール:リグ専用、流用不可
- キーパッド・FH-2 等:メーカー専用
- マニュアル理解:用語・体系から学び直し
金銭的には、ケーブル・コネクタ・場合によっては T/R シーケンサで数千円〜数万円。たいした額ではない。
問題はそこじゃない。
三層のコスト構造
メーカー越境のコストは三層で発生する。
第1層:金銭コスト — 数千円〜数万円。リグ本体価格の 5〜10%。
第2層:時間コスト — 配線・設定・動作確認で週末数回分。実測・調整含めて 10〜20 時間。
第3層:リスクコスト — 配線ミス、信号タイミング差、誤動作によるハードウェア損傷の可能性。
そして見落とされがちな第4層がある。
第4層:身体に染みついた操作感
四半世紀、ICOM を使っていると、私の手は IC のメニュー体系を覚えている。AGC ノブの位置、フィルタ切替の手順、メモリ呼出のキー操作。これらは脳ではなく指が記憶している。
YAESU に乗り換えると、この身体記憶が一瞬で無効になる。コンテスト中の一瞬の判断、パイルアップ中の混信処理、すべてが「考えながらの操作」に戻る。慣れるまでの数か月間、運用効率は確実に落ちる。
これは右ハンドル車に乗っていた人が左ハンドル車に乗り換えるのに似ている。技術的には運転できる。でも、無意識でできていたことを、しばらく意識的にやらないといけない。
この第4層こそが、メーカー越境の最大のハードルだと私は思う。スペック表の差が実運用で限定的なら、なおのこと、この身体記憶を捨てる合理性は薄い。
業界構造としての「囲い込み」
ここで一歩引いて見ると、これは個人の問題ではなく、産業構造の問題だと気づく。
ICOM は ACC 端子互換性を長年維持してきた。これは「ユーザー親切」の側面と同時に、「離脱コストを高く維持する戦略」でもある。一台買い替えるたびに、過去のアクセサリ投資がそのまま次のリグでも使える。だから ICOM ユーザーは ICOM を買い続ける。
YAESU 側も同じ構造で、FTdx101 → FTdx10 → FT-710 と購入してきたユーザーは、周辺機器をほぼ流用できる。だから YAESU ユーザーは YAESU を買い続ける。
これは Apple のエコシステムや、カメラの Canon vs Nikon と同じ構造だ。「囲い込みは、ユーザーの便宜と表裏一体で機能する」。
ハム業界のユニークな点は、この囲い込みが数十年スパンで機能することだ。スマホは 2〜3 年で買い替えるが、リグは 20 年使う。アクセサリも、AC アダプタやプリアンプは 30 年使う人もいる。だから一度ある陣営に属すると、簡単には抜け出せない。
真のリグ価格 = 表示価格 × エコシステム係数
私が思う「越境購入の真のコスト」を式にするとこうなる。
真のコスト ≒ リグ表示価格 × 1.3〜1.5(メーカー越境時)
FTdx10 100W が ¥158,400 だとしても、ICOM ユーザーが買うときの「実質コスト」は ¥200,000〜¥240,000 と見るのが現実的だ。配線材料費、時間コスト、リスクコスト、運用効率低下のすべてを織り込めば、それくらいになる。
逆に、YAESU 内で FTdx101D → FTdx10 への買い替えなら、エコシステム係数は 1.0 に近い。表示価格そのままが実質コストだ。
この差が、性能比較表からは絶対に読み取れない。そして比較表の数字そのものが、必ずしも実運用の差を保証しないことを考え合わせると、越境判断はますます慎重にならざるを得ない。
ではどうするか
選択肢は三つある。
選択肢1:エコシステム内に留まる — スペック上の性能向上は限定的でも、移行コストはゼロに近い。複数メーカー機種を並行使用する経験者の観察によれば、IC-7851/K3S/FTDX10/FT-710/FTDX5000/TS-890S といった上位機間の実運用性能差はほぼないとされる。実運用での体感差が小さいなら、なおさら合理的な選択。ICOM ユーザーなら IC-7610 や IC-7851 へのアップグレードパス。慣れた操作系、確実な周辺機器流用。
選択肢2:越境を覚悟して移行する — Sherwood トップグループの数値を取りに行く。ただし三層〜四層のコストを直視する必要がある。週末を数回潰す覚悟と、しばらくの運用効率低下を許容する精神的余裕が要る。「数値が変わっても運用は変わらないかもしれない」という冷静な認識も持っておく。
選択肢3:併存運用 — 既存システムは温存し、新ブランドは限定用途で導入。例えば「6m 専用機として FTdx10 を導入し、HF はICOM継続」。ただしこれもプリアンプが越境バンドにあると成立しないなど、運用構成によっては実現困難。
正解はない。自分の運用形態と、移行コストの見積もり次第だ。
メーカーへの注文 — 宗教のハードルを超えてくれ
ここまではユーザー側の話だった。だが、視点を一段上げて言いたいことがある。
ICOM と YAESU は、もっとライバル意識をむき出しにして性能を追うべきだ。
私はメーカー越境のハードルを「合理的な敬意」と書いた。しかしその裏返しは、両メーカーが現状の囲い込みに安住しているということでもある。
考えてみてほしい。Sherwood Engineering の Receiver Test Data において、5 年以上前に発売された FTdx10 が今もトップグループに居座り続けている。これは YAESU の設計が優秀である証であると同時に、「5 年経っても本気で挑戦してくる対抗馬がいない」という業界の停滞でもある。
2026 年に登場した IC-7300Mk2 では、Sherwood の Narrow Spaced DR が 87〜89dB と、初代 IC-7300 の 94〜97dB を下回るという結果が公表されている。ただしこの数値については、前述のダイレクトサンプリング SDR 機固有の測定方法論上の問題に起因する現象である可能性が高く、実機性能の劣化を意味するとは限らない。実機経験豊富な OM 諸氏の観察を踏まえれば、IC-7300Mk2 が実際に初代より劣ると判断する根拠は乏しい。
ただ、新機能の追加(USB-C、HDMI、LAN、CW デコーダ、APF)が素晴らしい一方で、第三者測定で前モデル比の明確な向上を示しきれない開発思想には、メーカーがエコシステム内買い替えを織り込んでいる雰囲気を感じる。「うちのユーザーは結局うちで買う」という前提に立っていないか。
性能だけでなく、UI も激しい競争軸として欲しい。八重洲機は性能良好だが UI が弱いという評価が定着しており、つまみの数比例で FTDX101 > FTDX10 > FT-710 という声まで聞かれる。FT-710 は FT8 等で PC コントロール前提の設計と見れば筋は通るが、リグ単体で操作するときの使い勝手はやはり大事だ。ハードウェア性能の競争と、ユーザー体験を左右する UI の競争。両輪で各社が殴り合えば、業界全体が前進する。
私が両メーカーに望むのは、スペック表の数字ではなく、実機で誰もが体感できる性能の飛躍と、操作のしやすさで思わず手が伸びる UI の進化である。ユーザーの「宗教のハードル」を強引にぶち壊すには、それしかない。
ICOM ユーザーが実機を触って「これは…YAESU に乗り換えるべきか?」と本気で悩む製品。YAESU ユーザーが操作して「ICOM の新作は、エコシステム再構築のコストを払ってでも欲しい」と思う製品。そういう製品が出てきて初めて、業界全体が前進する。
スマートフォン業界では、iPhone と Android の覇権争いが互いを進化させた。GPU 業界では NVIDIA と AMD と Intel の三つ巴がユーザーに恩恵をもたらしてきた。ハム業界も、同じレベルの競争を見たい。
互いの牙城を尊重する紳士協定のような現状は、ユーザーには不利益でしかない。ICOM は YAESU の縄張りを荒らしに行くべきだし、YAESU は ICOM の城を崩しに行くべきだ。Kenwood も、Elecraft も、Flex も含めて、もっと激しく性能を競ってほしい。
「宗教のハードルを超えてでも、こいつが欲しい」とユーザーに言わせる体感の差を、ぜひ作ってほしい。それがあれば、私たちは喜んで配線をやり直し、メニュー体系を学び直し、四半世紀の指癖を捨てる覚悟をする。
ハムは、本物の性能には敬意を払う種族である。
メーカーへの具体的な提案 — アダプターという解決策
性能で殴り合うのと並行して、もう一つメーカーに提案したいことがある。
「越境を容易にする純正アダプター」を商品化してほしい。
例えば、YAESU が ICOM ユーザーを取り込みたいなら、こういう純正アクセサリを売ればいい:
- ACC 変換ハーネス:ICOM ACC(13ピン DIN)→ YAESU FTdx10 制御端子。13.8V と SEND を既存配線のまま流用可能
- マイクアダプター:ICOM 8ピンマイク → YAESU マイクコネクタ変換
- CAT ブリッジ:CI-V ↔ YAESU CAT プロトコル変換、既存ロギングソフトの設定維持
- バンドデータ変換:ICOM バンド電圧 → YAESU バンドデータ、外部チューナー連動継続
ICOM 側も同じだ。YAESU ユーザーを取り込みたいなら、YAESU の周辺機器を ICOM 機に繋ぐアダプターを純正で出せばいい。
「そんなことをしたら囲い込みが崩れる」と思うかもしれない。だが視点を変えてほしい。囲い込みが崩れて困るのは、自社のユーザーが他社に流出する場合だけだ。逆に、相手陣営のユーザーを取り込みたいなら、彼らの囲い込みを緩める方向に動くのは戦略的に正しい。
想像してみてほしい。FTdx10 を検討している ICOM ユーザーが、店頭でこう説明されたら:
「純正 ACC アダプターハーネスがあります。既存のプリアンプ、チューナー連動、マイクがすべてそのまま使えます」
この瞬間、移行コストの第1層・第2層・第3層が一気に消える。多くの ICOM ユーザーは、ここで YAESU 購入を決断するだろう。
これは既存 YAESU ユーザーに何の不利益もない。純粋に他社陣営から新規顧客を切り崩す施策である。価格は ¥10,000〜¥20,000 程度のアクセサリで構わない。本体価格 ¥158,400 に対する追加負担は微々たるもの。むしろ「これで安心して移行できる」という心理的ハードルの低下効果は計り知れない。
売上は確実に伸びる。越境の物理的・技術的ハードルが下がれば、あとは純粋な性能勝負になる。そしてここで初めて、Sherwood の数字も、実機の体感も、本当の意味で武器として機能し始める。
両メーカーには、製品開発リソースの一部を「越境促進アクセサリ」に振り向けてほしい。これは囲い込みを緩めるリスクではなく、相手陣営のユーザーを切り崩す攻撃手段である。守りの戦略ではなく、攻めの戦略として考えるべきだ。
ハードウェア互換性アダプターは、結局のところ業界全体のパイを広げる。固定客の奪い合いではなく、買い替え意欲そのものを刺激することになる。長期的に、両メーカーにとっても、ユーザーにとっても、利益になる構造だ。
「性能で殴る」と「アダプターで橋を架ける」。この両輪が揃ったとき、ハム業界は本当の意味で動き出す。
結論
「より良いリグが欲しい」という気持ちと、「動けない」という現実の間にあるのは、決して怠惰でも保守性でもない。それは、これまで積み上げてきたエコシステムへの合理的な敬意である。
新しいリグを買うとき、メーカーが同じなら表示価格を、メーカーが違うなら表示価格 × 1.3〜1.5 を見積もる。これが私の最近の考え方だ。
そして、Sherwood の数字を眺めながら、しばらく自分のシャックを見回す。あの 6m プリアンプ、あの ACC ケーブル、あの慣れ切ったメニュー画面。これらすべてを「越境コスト」として勘定に入れたとき、買い替えという行為の重みが初めて見えてくる。リグ選びは、単体の数字を比べる作業ではなく、アンテナ、受信環境、周辺機器、操作感まで含めたシャック全体の総合力をどう設計するか、という問題でもある。
スペック表の数字は誘惑する。だがその数字が実運用でどこまで効くかは、数字だけからは読めない。実効性の不確かな優位は、四半世紀かけて築いたエコシステムの引力に勝てるか。これは、すべてのハムが買い替え時に直面する、見えない方程式である。
WSJT-X Improved 3.1.0 260418 was released ― 2026年04月18日 21時35分02秒
WSJT-X Improved 3.1.0 260418 リリース ― 2026年04月18日 21時32分45秒
430MHz帯(433MHz)パブコメ、今が勝負です📣 ― 2026年04月16日 11時00分34秒
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WSJT-X 3.1 improved のFT8デコーダ設定を読み解く ― 2026年03月24日 23時55分53秒
https://www.asahi-net.or.jp/~vj5y-tkur/ft8/wsjtx_31improved_article_ja.html
### 迷ったら Normal。CPU に余裕があるなら 3-Stage。非力なら Early
### なぜ今あらためて WSJT-X 3.1 improved なのか
### “全部強くすれば最強”ではない
## 「デコードスタート」は何をしているのか
### まず単純な3つを整理する
### 単なる「早い・遅い」設定ではなく、STD と MTD を組み合わせた多段デコード戦略
### 3ステージ とは何か
### staged モードは「複数回回す」のではなく、「各段の役割を変える」
**FT8の最適化とは何か**
を理解することにつながっています。
## どのモードをどう使うべきか
## それは「平均性能」ではなく「15秒の中の時間配分」である
## なぜ私はこのことをわざわざ書くのか
## 50MHz重視だからこそ、CPUパワーを惜しまない
## いま考えるべきなのは、「どのソフトが正義か」ではなく、「どの設定思想が自分に合うか」
FT8/FT4用ソフトウェアの選択 ― 2026年03月17日 16時10分07秒
It Wasn't 3 Strikes and Out — Clearing Up the WSJT-X F/H Mode and MSHV Misconceptions — ― 2026年03月08日 08時28分31秒
Closing thoughts: the relationship between experience and understanding
三振アウトではなかった 〜WSJT-X F/HモードのリリースノートとMSHV誤解の話〜 ― 2026年03月07日 23時14分17秒
はじめに
2026年、アマチュア無線界に激震が走りました。
ブーベ島、3Y0K。
アフリカ最南端、南極に近い絶海の孤島。常時荒れ狂う南大西洋の波に囲まれ、上陸すること自体が命がけのこの島は、アマチュア無線界において長年「世界で最も欲しいエンティティ」のひとつとして君臨し続けてきました。過去に何度かペディションが試みられ、そのたびに悪天候や上陸失敗で夢と消えてきた場所です。
そのブーベ島からの電波が、ついに飛んできた。
世界中のハムがパイルアップに殺到しました。FT8のウォーターフォールは信号で埋め尽くされ、SNSはリポートで溢れ、ChronoGPSのダウンロード数が跳ね上がりました(これは私事ですが)。
私もパイルアップに参加しながら、SNSをモニターしていました。そこで目についたのが、繰り返し登場する2つの意見でした。
「1000Hz以下で呼んだのにコールバックがあった。だからMSHVだ。」
「三振アウトのはずなのに応答があった。だからMSHVだ。」
どちらも結論が「だからMSHV」に着地しているのが興味深い。MSHVはマルチストリーム運用ができる優れたソフトウェアですが、今回の3Y0Kの動作を説明する理由としては、どちらも的外れだと思っています。
そして正直に告白すると、2つ目の「三振アウト」については、私自身もつい最近まで間違った理解をしていました。
今回はその話を、できるだけ丁寧に書いていきます。
F/HモードかMSHVか、まず前提を整理する
議論を始める前に、まず前提を確認しておきます。
3Y0Kの公式ホームページには、F/H(Fox & Hound)モード使用と明記されていました。これが一番シンプルかつ強力な根拠です。ペディションチームが自ら「F/Hを使う」と言っているのだから、まずそれを信じるべきでしょう。
では「動作がMSHVっぽかった」という感想はどこから来るのか。それを理解するためには、F/Hモードの動作原理を正確に知っておく必要があります。
F/Hモードの基本をおさらい
WSJT-XのF/H(Fox & Hound)モードは、2018年にK1JT(Joe Taylor)によって開発されました。DXペディション局(Fox)が同時に複数のQSOを高レートでこなすための専用モードです。
基本的な周波数の使い方はこうです。
FoxはDF 300〜900Hzの範囲で送信します。複数スロット同時送信の場合は60Hz間隔で並びます。
HoundはDF 1000〜4000Hzの範囲で呼びます。
この棲み分けが、F/Hモードの根幹です。
そしてFoxの動作で重要なのが以下の2点です。
- Foxは1000Hz以下の信号もデコードするが、応答しない。
- HoundはTx1(グリッドスクエア付き)で呼ばなければFoxは応答しない。
「デコードしない」ではなく「応答しない」というのが正確な表現です。この違いは後で重要になってきます。
誤解その1:「1000Hz以下で呼んだのにコールバックがあった!→だからMSHVだ!」
これはSNSで最もよく見かけた誤解です。
まず整理しましょう。
F/HモードのFoxは、1000Hz以下の信号もデコードはしています。ただ応答しないだけです。Foxのウォーターフォールを見ると、1000Hz以下のHoundの信号も赤くハイライトされて表示されています。見えているけど、無視している。それがF/Hモードのデザインです。
では「1000Hz以下で呼んだのにコールバックがあった」という体験はどう説明するのか。
答えはキャッシュにあります。
Foxのシステムは、過去数シーケンスでデコードしたHoundのコールサインを記憶しています。つまり、あなたが1000Hz以上でTx1(グリッドスクエア付き)で呼んでいたシーケンスがあれば、その情報はFoxのキャッシュに残っています。その後うっかり1000Hz以下に移動して呼んでいたとしても、キャッシュから選ばれてコールバックが来ることがある。
「1000Hz以下で呼んだのに応答があった」は「MSHVだから」ではなく、「以前1000Hz以上で正規に呼んでいたから」である可能性の方がずっと高い。
ここで一度、自分の運用を最初から振り返ってみてください。本当に一度も1000Hz以上でTx1で呼んでいませんでしたか?😅
多くの場合、「1000Hz以下でしか呼んでいない」という記憶は不正確で、実際にはどこかで1000Hz以上で呼んでいるのではないかと思います。
さらに言うと、WSJT-XのHoundモードには自動周波数制御があります。Foxから応答が来た後、Houndは自動的にFoxのDF近辺に移動してR+rptを送ります。このとき1000Hz以下に移動することがあります。しかしこれはシーケンスの途中での移動であり、最初のコールは1000Hz以上だったはずです。「1000Hz以下で呼んだ」という記憶は、このシーケンス途中の移動と混同されている可能性があります。
* ここで《キャッシュ》と書いているものは【Queue】の事ですが、読む方が理解しやすいように敢えて《キャッシュ》と記しています。
誤解その2:「三振アウトのはずなのに応答があった!→だからMSHVだ!」
ここが今回のブログの本題です。そして冒頭でも書いた通り、私自身もつい最近まで間違った理解をしていました。
K1JTが書いたF/Hモードの公式マニュアル(2018年)には、Fox側の動作としてこう書いてあります。
"We use a '3 strikes and you're out' rule. Fox will call a specific Hound up to 3 times, waiting for an 'R+rpt' response. If a Hound repeatedly sends an 'R+rpt' message, Fox will send RR73 up to 3 times. Finally, the total timespan of an attempted QSO is limited to 3 minutes. When any of these timeouts is exceeded, the QSO is aborted."
これを読んだ多くの人が「3回失敗したら終わり、最初から呼び直し」と理解しました。私もそうでした。
「三振アウト」という表現は野球のルールそのものですから、わかりやすい。3回ダメなら次のバッターに交代、という理解は自然です。
ところが——。
リリースノートを読むと世界が変わる
Facebookでこの話をしていたところ、Michael Flensted Möller氏(トップコントリビューター)から指摘を受けました。
「リリースノートを読んでみて」と。
WSJT-X 2.6.0-rc5(2022年11月29日)のリリースノートにこう書いてあります。
"Fox now responds for another two cycles to stations whose report was not received, increasing the success rate for a difficult QSO."
「Foxは、レポートを受信できなかった局に対してさらに2サイクル応答するようになりました。これにより難しいQSOの成功率が向上します。」
つまりこういうことです。
- Foxが3回コールバックしてもHoundのR+rptが届かない
- FoxはそのHoundをキューからドロップする(三振)
- しかしその後2サイクル、FoxはまだそのHoundのR+rptを待っている
- そのウィンドウの中でR+rptが届けばRR73が返ってくる
つまり実質5回のチャンスがあるわけです。
三振アウトではなかった。😄
私はこれを読んで正直驚きました。マニュアルには書いていない。リリースノートにしか書いていない。しかも2022年の変更だから、2018年のマニュアルに書いてないのは当然です。
「三振のはずなのに応答があった」はMSHVだからではなく、WSJT-X 2.6.0-rc5以降の仕様変更によるものだったわけです。
ちなみにこの変更の意図は明確で、「難しいQSOの成功率を上げる」ためです。プロパゲーションの変動や一時的な混信で3回のウィンドウを逃してしまうことがある。そのためのバッファとして2サイクルを追加した。K1JTたちの細かい配慮が感じられる変更です。
マニュアルだけでは足りない、という話
今回の件で改めて強く思ったのは、マニュアルを読んだだけで理解した気になるのは危ないということです。
WSJT-Xは2018年のF/Hモード導入以来、細かい改善を重ね続けています。マニュアルはその時点のスナップショットに過ぎません。現在の動作を正確に理解するには、リリースノートまで追いかける必要がある。
リリースノートは確かに長い。WSJT-X 2.7.0-rc5のリリースノートを全部読もうとすると、かなりの時間がかかります。でも読むと発見があります。
例えば今回の「5回チャンス」の話だけでなく、リリースノートには他にも興味深い変更が記録されています。SuperFoxモードの導入(2.7.0-rc5)、MSHVのマルチストリーム信号をHoundモードで正しく処理するための改善(2.7.0-rc1)、Fox向けのキュー管理の改善(2.6.0-rc5)など、実際の運用に直結する変更が多い。
「なんかうまくいかない」「なんか動作が変わった気がする」という時、リリースノートを読むと「あ、そういうことか」という答えが見つかることがあります。
マニュアルは入口で、リリースノートが現在地への地図だと思っています。
MSHVについて補足
MSHVを否定したいわけではありません。MSHVはLZ2HV(Christo)が開発した優れたソフトウェアで、マルチストリーム運用によって複数局と同時にFT8/FT4のQSOができます。実際に多くのDXペディションで使われています。
MSHVを使っているDX局を呼ぶ時、Hound側は特別な設定は不要です。普通にFT8でQSOするのと同じです。DFの制限もありません。グリッドスクエア付きで呼んでもいいし、最初からR+rptで呼んでもいい。MSHVのマルチストリームはHost側の話であって、呼ぶ側には透過的です。
F/HモードとMSHVを混同するのは、この「呼ぶ側に制約があるかどうか」という点で大きな違いを生みます。F/Hモードには1000Hz以上でTx1で呼ぶという明確な制約がある。MSHVにはそれがない。この違いを理解した上で運用することが大切です。
最後に:体験談と原理理解の関係
体験談は大切です。「こうしたらうまくいった」「こうしたらうまくいかなかった」という実経験は、アマチュア無線の楽しさの核心だと思っています。
ただ、体験から結論を導く前に一歩立ち止まることも大切です。「なぜそうなったのか」を考える手がかりは、マニュアルとリリースノートの中にある。
「1000Hz以下で呼んだのにコールバックがあった」→「だからMSHVだ」ではなく、「なぜコールバックがあったのか」を考える。キャッシュの存在を知っていれば、F/Hモードでも説明がつく。
「三振アウトのはずなのに応答があった」→「だからMSHVだ」ではなく、「リリースノートに何か書いてないか」を調べる。2.6.0-rc5に答えがあった。
使っているソフトウェアの動作原理を正しく理解した上で運用する方が、うまくいった時もうまくいかなかった時も、ちゃんと理由がわかって面白い。そしてその理解が、周囲への迷惑を減らすことにもつながります。1000Hz以下に居座り続けるQRMも、正しい知識があれば防げる話ですから。
アマチュア無線は技術を楽しむ趣味です。技術を楽しむなら、その技術の中身を知るのも楽しみのうちだと思っています。
リリースノート、ぜひ読んでみてください。📖






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