目覚ましで起きたら、50MHzは北米大オープンだった――杉並区で観測した今季最大の6m Es2026年07月21日 13時46分53秒

2026年7月21日の朝、目覚ましをセットしていた06:30に起きて無線機を見たら、50MHzはすでに北米の大オープン状態だった。

後から聞いたところでは、05:30頃にはもう開いていたらしい。

実は朝5時半にトイレへ行った時、一度起きていた。 あの時スマートフォンを見ておけばよかった……と少し後悔している(笑)

「自分が不在の時に限って6mが開く」というのは、もはや6mあるあるだと思う。

だからこそ、昨日のヨーロッパに続いて、今朝は自宅にいる時にこれほどの北米オープンに巡り会えたことが、素直に嬉しかった。

50MHz FT8北米オープン時のWSJT-Xデコード画面

上の画像はピーク時そのものではないが、北米局が画面を埋めていた当時の雰囲気は伝わると思う。

WSJT-Xの受信ログを解析してみた

今回、僕のWSJT-XのALL.TXTから、06:33~11:53 JSTの北米局を抽出して解析した。

画面には米国、カナダ、メキシコの局が次々と現れていた。集計条件を米国・カナダ・メキシコに絞った結果は次の通りだった。

  • ユニークでデコードした米国・カナダ・メキシコ局:430局
  • 延べデコード数:8,817回
  • 1分間のピーク時刻:06:35 JST
  • 1ピリオド、15秒間の最大ユニーク局数:38局
  • 1ピリオドのピーク時刻:06:35:45 JST

06:35~06:41頃には、1ピリオド30局を超える状態が何度も続いていた。

僕が起きて無線機の前に座った時には、すでに今シーズンで最も濃い数分間に突入していたことになる。

グラフを見ると、起床直後の06:35頃に最大の山があり、その後いったん落ち込みながらも、08:40頃から10時前後にかけて再び厚い入感が続いていたことが分かる。

一瞬だけのオープンではなく、濃淡を繰り返しながら午前中いっぱい続いた、規模の大きなオープンだった。

西海岸だけではなかった

コールサインとグリッドロケーターのデータベースを照合したところ、430局中380局のグリッドを確認できた。

延べデコード数が多かったグリッドフィールドは、次の通りだった。

  • EM:2,527回
  • DM:2,365回
  • EN:1,835回
  • DN:571回
  • FN:453回
  • FM:352回

DMの米国南西部、EMの中南部、ENの中西部北部が特に強かったが、DNのロッキー山脈北部、FMの南東部、そしてFNの米国北東部・ニューイングランド方面まで届いていた。メキシコからはXE2JS、XE2CQ、XE2Xの3局を確認しており、メキシコ中部・北東部方面までパスが伸びていたことになる。

西海岸や南西部だけが開いていたのではない。

太平洋岸から中部、東海岸方面、そしてメキシコ方面まで、北米大陸の非常に広い範囲が同時に日本へ入感していた。

北米大オープン時のPSK Reporter画面

PSK Reporterの画面を見ても、北米大陸の西側だけではなく、中部から東海岸に至る広い範囲へ伝搬していた様子が分かる。

なお、コールサイン・データベースのグリッド情報は、移動運用や引っ越しなどにより、当日の実際の送信地点と異なる場合がある。

また、PSK Reporterの表示は、受信ログそのものとは性質が異なる。

それでも、今回の伝搬が北米大陸の非常に広い範囲に及んでいたことを示す資料としては、十分に印象的だと思う。

同じ関東でも、見えている北米がまったく違う

今回、特に面白かったのがJR1LZK局との比較だった。

JR1LZK局は水戸市、QM06FI。

僕は東京都杉並区、PM95TQ。

同じ06:48:45 JSTのピリオドを比較しても、画面に現れている局数も、見えている局の顔ぶれも大きく異なっていた。

JR1LZK局の設備は、9.1mブームの7エレ八木を3枚使用した三角形スタック。

水平間隔7.5m、垂直間隔7.0m、最上段は32mという本格的な6m設備で、1ピリオドに北米局を60局以上デコードした場面もあったという。

一方、僕の設備は杉並区の住宅地に設置した、9.8mブームの7エレ一枚。

設備差は当然大きい。

しかし、それだけではない。

50MHzのマルチホップEsでは、最終ホップの着地点や散乱域の位置によって、同じ関東地方でも受信状況が大きく変わる。

さらに、次のような要素がすべて重なる。

  • アンテナの利得と高さ
  • アンテナのビームパターン
  • 周辺のノイズフロア
  • 強力なJA局によるマスク
  • 受信機やAGCの状態
  • WSJT-XとJTDXのデコード特性

したがって、当然ですが今回の430局という数字は全国共通の値ではなく、

「2026年7月21日、東京都杉並区PM95TQのJP1LRT局で観測した北米オープン」

という、一地点での観測記録として見るべきです。

逆に言えば、杉並区の7エレ一枚でも1ピリオド38局、WSJT-X単独のログで430局が確認できたのだから、この日のオープンがどれほど大きかったかが分かる。

WSJT-XとJTDXの二面起動が実戦で役に立った

僕はWSJT-XとJTDXを同時に起動して運用している。

同じ受信音を入力していても、両者のデコード結果は完全には一致しない。

WSJT-Xではデコードできなかった局をJTDXだけが拾うこともあれば、その逆もある。

今回の実際のQSOログにも、WSJT-XのALL.TXTには記録されていない局が含まれている。

それらはJTDX側だけでデコードできた局を見つけ、周波数やメッセージを確認した上で、WSJT-X側から手動で対応してQSOしたものだ。

だから、

「WSJT-Xでデコードした430局の中から交信した」

という単純な包含関係にはならない。

実際の運用では、二つのデコーダーがそれぞれ拾った情報を、人間がリアルタイムで統合している。

こうした運用をしているDXerは少なからずいる。

彼らもやり手だと思う。

二面起動は単に画面を二つ並べているのではない。

片方で取りこぼした弱い局をもう片方で救い、それを実際のQSOへつなげる、実戦的なデコード・ダイバーシティとして機能している。

今回は送信タイミングも特殊だった

50MHz FT8では、通常はJA局が奇数側、

2nd / ODD
15秒・45秒

で送信し、DX局が偶数側、

1st / EVEN
00秒・30秒

を使うという慣習がある。

JAの強力なローカル信号が、JA局が受信したい弱いDX信号を覆い隠さないための考え方だ。

しかし今回は、北米局の多くが奇数側で送信していた。

米国内では東海岸と西海岸の間でも送信タイミングが分かれることがあり、すでに成立していた米国内や他地域との運用の流れを維持したまま、突然JAとのパスが開くことがある。

また、米国とヨーロッパが同時に開いている場合、ヨーロッパ局は通常偶数側で送信するため、米国局は奇数側を使う。

その状態で米国からアジアへのパスまで開けば、アジア側が偶数を使わざるを得ない状況も生じる。

だから重要なのは、

「原則を知った上で、その時の状況を読むこと」

だと思う。

原則を知らずに偶数側でCQを出し続けることと、実際に入感しているDX局のタイミングを確認し、状況判断の結果として偶数を選ぶことは、同じではない。

原則を守ることと、状況を読まないことは違う

今回、北米局の多くが奇数側に並んでいる中で、奇数側からCQを出し続けるJA8エリアの局がいた。

Esに乗った強力なJA信号が、同じタイミングで届いている複数の弱い北米局をマスクしていた。

さらに、偶数側でCQを出していたJA局を、別のJA局が呼ぶ場面も見られた。

北米がこれほど大きく開いている時の50.313MHzでのCQは、実質的には「CQ DX」と同じ意味を持つ。

国内同士でQSOしたいのであれば、50.303MHzのFT8を試すか、FT4へ移るという選択肢がある。

少なくとも、周囲に何が入感しているかを見ずにCQを出すべきではないと思う。

50MHz FT8の基本的な運用目安としては、次のようになる。

  • CQは原則として2nd / ODD、15秒・45秒
  • ただしDX局が実際にどちら側で送信しているかを必ず確認する
  • 50.323MHzは大陸間DX用として扱い、国内QSOには使用しない
  • 50.313MHzが混雑している時の国内QSOは50.303MHzを検討する
  • 国内QSOではFT4も活用する

このあたりを共有しておくことが、DX局を守り、同時にJA全体の受信機会を守ることにつながると思う。

詳しい考え方は、以前こちらの記事にまとめている。

50MHz FT8で国内局とDX局が共存するために

だから6mは面白い

今回は新しいグリッドロケーターとも数多くQSOできた。

05:30頃から開いていたと聞くと、朝5時半にトイレへ行った時にスマートフォンを確認していれば……とは思う。

しかし、目覚ましで起きた時にはすでに大オープンしていて、そのピーク付近を自分の設備で実際に体験できた。

設備が違えば見える局数が違う。

地域が違えば、同じピリオドでも見えている局そのものが違う。

ソフトが違えば、拾える弱い局も違う。

そして最後は、その情報を見たオペレーターがどう判断し、どう動くかで結果が変わる。

だから6mは面白い。

2026年夏の、忘れられないオープンの一つになった。

さようなら、JA1BK 溝口さん ― 繋いでくれた縁に感謝して2026年07月21日 22時09分21秒

JA1BK 溝口皖司さんを偲んで

5月23日、JA1BK 溝口皖司さんがお亡くなりになりました。この知らせを受け取ったのは、それから約2ヶ月が経ってからのことでした。90歳を超えてなお現役で電波に出続けておられた方だっただけに、聞かされてもすぐには実感が湧かず、何度も文字を読み返しました。

このブログは基本的に趣味の話だけを書く場所にしてきましたが、今日だけは少し違う書き方をさせてください。溝口さんという人が、僕にとって、そしてこの趣味を通じて出会った多くの人にとって、どれほど大きな存在だったか。それを、事実と記憶の両方から、できる限り丁寧に記しておきたいと思います。

JARLでの足跡

溝口さんは、日本のアマチュア無線界において、長きにわたり中心的な存在でした。JARLの対外国担当理事として国際渉外に尽力され、1966年には、来日中のオーストラリア無線連盟(WIA)のエルオット氏(VK3AL)から、IARU第三地域の代表者を集めた会議開催の提案を受けたのが溝口さんだったという記録が残っています。この動きは、のちの第三地域会議構想へとつながっていきました。1978年のJARL役員選挙では、星山陽太郎さん(JA2JW)とともに全国選出理事に就任されています。

DXペディションの人、溝口さん

溝口さんの名を語るうえで欠かせないのが、そのDXペディション歴です。1980年、サイクル21のピーク期には南太平洋ツアーを敢行し、3D2DB(フィジー)、N6DX/NH8(米領サモア)、9M6MA(東マレーシア)などから運用されました。米領サモアでは「史上最初の50MHzのQRV」を実現し、ホテルからだとJAとオープンしないからと、毎日車で山に登って山頂からQRVされていたそうです。JAと400局ほど6mで交信されたと当時の記録にあります。

そして1991年。約40年ぶりにアマチュア無線が解禁されたアルバニアから、JA1HQG有坂芳雄さんとともにZA1Aを運用された、数少ない日本人の一人でもありました。著書「アマチュア無線 DXガイドブック」(オーム社、昭和43年刊)は、今なお色褪せることのないDXハンティングの指南書として知られています。

1980年、ヨーロッパが聞こえた日

今回、溝口さんについて調べ直していて、僕自身が最も心を動かされたのがこのエピソードでした。溝口さんの「後進を支える」というスタイルが、実は40年以上前からすでに一貫していたのだということを、初めて知ったからです。

1980年4月10日、6mバンドで長らく「交信不可能」とされていたヨーロッパとの初交信が実現しました。ジブラルタルのZB2BL、ジミー・ブルーゾンさんのビーコンが日本で入感していることを、埼玉県狭山市のJA1TGS・金子さんが最初に確認し、JA1RJU・小笠原一夫さんへ、そして溝口さんへと連絡がリレーされました。当時はダイヤル直通ではない国際電話です。真夜中に叩き起こされたジミーさんは、慌てて着替えてシャックに駆け込み、ビーコンキーヤーで何度かQRXを出しながらリグをチューンし、CWでJA1BKをコールしたといいます。

その日、最終的にQSOに成功したのはわずか4局でした。00:12Z JA1BK、00:19Z JA1TGS、00:20Z JA1PVI、00:25Z JA2GHT。6mにおける最長距離記録も、ZB2〜JA間28,768kmとして、1958年のJA3CE〜CT3AE(マデイラ島)によるロングパス記録を大幅に更新することになりました。

翌1981年、パイルアップを効率よくさばけるようにと、日本側から資金を募ってジミーさんにIC-551Dのトランシーバーが贈られています。遠く離れた無線家の運用環境そのものを整えてしまう。このスタイルは、この頃からすでに始まっていたのだと、今回改めて思い知らされました。

レアエンティティのQSLマネージャーとして

溝口さんは、後年になっても、JA局が確実に交信証を受け取れるようにと、レアエンティティのQSLマネージャーを何度も自ら引き受けておられました。マウントアトスのSV2RSG/A、エジプトのSU1SK、チェスターフィールド諸島のTX0C、そしてコンウェイ礁の3D2SM。TX0Cと3D2SMについては、僕自身も溝口さんのおかげでQSLを手にすることができました。

特に印象に残っているのは、2023年のRK9UT(ロシア極東ZONE18)の6m分QSLの一件です。当時、ロシア向けのPayPalも郵便も止まっているという厳しい状況の中、溝口さんはそれでもQSLマネージャーを引き受け、SASEでの受付やログ管理を粘り強く取りまとめておられました。「QSOしたらすぐにQSLの入手を」というメッセージを僕にも伝えてこられ、このブログでも情報を発信させていただいたことを覚えています。損得ではなく、ただアマチュア無線というホビーそのものへの深い愛情から動いておられる方でした。

僕と溝口さんとのこと

思えば、僕がこうしてブログで発信していることをご存知で、「その影響力でぜひ広めてほしいことがある」と最初に声をかけてくださったのが、僕と溝口さんとのお付き合いの始まりでした。それ以来、QSLマネージャーの話、DXペディションのこと、特に6m band FT8運用については具体的なアドバイスをいただき、実際に現地へ赴く運用者を紹介してくださって、直接お話しする機会まで作ってくださいました。

KO8SCA、エイドリアン・チュペルカさんとご縁をいただいたのも、溝口さんの紹介あってのことでした。ブーベ島をはじめ数々のレアエンティティに足を運んでこられた世界的なDXペディショナーとの出会いも、元をたどれば溝口さんの人脈の広さと、それを惜しみなく後進に開いてくださる姿勢の賜物でした。訃報をお伝えしたところ、エイドリアンさんも「2年前に実際にお会いして良い時間を過ごした。去年は体調のことで再会が叶わなかった」と返信をくださいました。世界中を飛び回ってきた彼にとっても、溝口さんは特別な存在だったのだと思います。

そして、今でも忘れられないのが、あの電話です。自宅にいるときに6mでDXが入感すると、溝口さんがわざわざ僕の携帯に電話をくださいました。もちろん、僕からも同じようにお伝えしていました。電話の向こうから聞こえてくる声には、いつも少年のような熱量とワクワク感がありました。何十年も無線を続けてこられた方なのに、その情熱はまったく色褪せていませんでした。

最後に

溝口さんは、しばらく体調を崩されていて、この春に一旦退院されたと伺っていました。しかし、また入院されたとのことで、4月以降、溝口さんの電波を受信することはありませんでした。90歳を超えてなお、まだまだお元気でいらっしゃると、僕は勝手に思い込んでいました。

国境を越えて人と人をつなぐこと。そして、その輪の中に後進を惜しみなく招き入れること。それが、溝口さんという人の生き方そのものだったのだと、今この記事を書きながら改めて感じています。1980年のZB2BLとの初交信に立ち会った青年時代から、90歳を超えてなお現役でRK9UTのQSL整理に奔走していた晩年まで、そのスタンスは何一つ変わっていませんでした。

溝口さん、長い間、本当にお世話になりました。あなたが繋いでくれた縁は、これからも僕の中で、そして僕が出会う人たちの中で、生き続けていくと思います。

心より、ご冥福をお祈りいたします。

73 de JP1LRT